変化と不変の中にある本質:異分野から経営のアタリマエを見直す 松山 大耕①

京都の禅寺を居としながら、広く世界への視点を向け、ビジネス講演や国際会議への出席等もこなしている松山氏。日本文化、伝統、禅の心を基盤に、これからの時代にどのような思考行動をとっていくべきか、持論をお話しいただいた。

第五回 (1)変化と不変の中にある本質

松山大耕
京都・妙心寺 退蔵院 副住職。
1978年京都市生まれ。東京大学大学院農業生命科学研究科修了。
埼玉県新座市 平林寺専門道場にて修行。臨済宗 大本山妙心寺 退蔵院 副住職。
政府観光庁 Visit Japan 大使等も務める。

他人の方が自分をよく知っている

Q:今、副住職以外にどのようなお仕事の機会があるのでしょうか。

当寺での仕事が基本ですが、その他にもご依頼があれば引き受けています。ビジネス界向けの講演なども頼まれることがありますが、そのような機会が増えたのも、考えてみると頼まれ仕事の連続なんですね。そう思うと私の尊敬する大学時代の先生も、実は自分は元々この分野の研究を志していたわけではないが、いろいろと頼まれたことに取り組んでいたら現在に至った、と退官時におっしゃっていまして、印象的でした。

そう考えると、頻繁に転職するのも考えものだと思います。職場の環境を変える方がよい場合ももちろんありますが、結局自分のことは自分ではよくわからないんですね。でも他人は自分のことをよく見てくれている。その時は自分にとってハードルが高いと思うことも、やってみたらできたりする。後から振り返ってみると自分は結構がんばっていたなと気づくようなものだと思うんです。

 

本質を見抜く力

Q:日本文化や伝統については、どのような見方をされていますでしょうか。

この間ダボス会議にも行かせていただきましたが、グローバルって何だろうか、と改めて思います。別に英語をしゃべれることでもなければ、海外赴任経験でも留学経験でもない。本質を見抜く力が一番大事なのだと思います。

たとえば、私が大学に入った1995年、恵比寿に一風堂さんの東京支店が初めてできたんですね。たまたまそこに入っておいしいなと思いました。そしたら今や一風堂さんはニューヨークやシンガポールなど世界のあちこちにできています。これはグローバルですね。でもおそらく一番はじめに店舗をつくった当初から、ラーメンでグローバル展開をと思っていたかと言うとそうではないと思うんです。大事なことは、一風堂のラーメンがあまりにおいしすぎて、世界に広まらざるを得なかった。大事なのはラーメンがおいしいという本質部分です。

また、必ずしもすべてにイノベーションありきではないとも思います。大事なのは何が良いかを見る眼、直観という部分です。先日隣の修行道場にお呼ばれ頂いたのですが、そこは汲み取り式のトイレで、薪でご飯を炊き、畑仕事をして暮らしているんです。一緒に招かれた別のご年配の和尚さんが帰り際に、「ああこのお寺は変わらんなぁ」といって帰って行かれたんですね。年長の修行僧の方は「ああよかった」とおっしゃった。変えなくていいものはそのままがいいんですね。

京都の祇園に萬治郎という、鳥の水炊きを出すお店があります。ここは鳥の水炊きメニュー1つだけで、しかも夏は営業しない。支店も出さない。それで商売が成り立っているんですね。おいしくて、ファンがいて、それだけで成り立っている姿です。

今の世の中は、高成長・グローバル化がよしとされる面が強く見えますが、京都のプライオリティはサクセッション、すなわち継続です。そこに哲学がある。成長モデルを否定はしませんが、世代を超えた利潤最大化という視点が欠けると社会の中での継続にはつながらなくなってしまいます。

当寺も1404年に建立され、今に至っています。その間に応仁の乱があり、廃仏毀釈運動もありましたが、何百年続いてきています。

 

Q:一方で利潤がないと継続もできなくなってしまいます。

もちろん利潤がなかったら継続できません。まさに、伝統とは何もしなくていいということではありません。禅語に「不動心(不動智)」という言葉があります。一度決めたら貫き通すという意味で使われますが、元々はとらわれるな、フレキシブルであれ、ということでした。たとえば川でボートに乗っている人に「動くな」と言うと、二つの意味があります。一つは本当に何もしないこと。もう一つは川の流れがある中で緯度経度を動くなということ。伝統というのはこの二つ目にあたり、これが不動心なんです。今は時代が早く、どんどん変わる。何もしないと流されてしまいます。緯度経度を変えないためにも常に動き続けないといけない。つまりその立ち位置を変えるなということになります。自分が何をしているか、立ち位置をぶらさず見られる視点が重要になります。

また京懐石の美濃吉本店に、竹茂楼という料亭があります。創業400年くらいたっていますが、そこの家訓、経営の理想は「牛のよだれ」だとおっしゃいます。すなわち、ずっと絶えず同じペースで流れ続けていく姿です。波がないことが理想形ですが、それは同じ料理ばかりを出すということではありません。実は竹茂楼さんは、京都の料亭の中で一番最初にハラル対応をしていますし、フランス料理のシェフとコラボレーションをしたりしています。「牛のよだれ」であり続けるためには不易流行であり、必要な本筋をちゃんと追求していくことが秘訣だと思います。

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