変化と不変の中にある本質:異分野から経営のアタリマエを見直す 松山 大耕②

京都の禅寺を居としながら、広く世界への視点を向け、ビジネス講演や国際会議への出席等もこなしている松山氏。日本文化、伝統、禅の心を基盤に、これからの時代にどのような思考行動をとっていくべきか、持論をお話しいただいた。

第五回 (2)変化と不変の中にある本質

松山大耕
京都・妙心寺 退蔵院 副住職。
1978年京都市生まれ。東京大学大学院農業生命科学研究科修了。
埼玉県新座市 平林寺専門道場にて修行。臨済宗 大本山妙心寺 退蔵院 副住職。
政府観光庁 Visit Japan 大使等も務める。

「あそび」が直観をきたえる

Q:本質を見抜く力は強化できるのでしょうか。

先日元ラグビー日本代表選手、デザイナー、研究者と、異分野で活躍される方々と食事をしましたが、共通していたのは、技術は教えられる、でも直観と熱意は教えられない、ということでした。

直観が鈍っているとしたら、一つはあそびが減っていることではないかと思っています。たとえば先日地蔵盆のときに寺で子どもたちとかくれんぼをしたのですが、みんな隠れる場所を工夫するんですね。どうやったら見つからないかに知恵を絞り、気配を察する工夫は感覚を養うはずです。

また、おもろいことをしてやろうという「あそび心」も大事です。先日京大で面白い話があったと聞きました。「持ち込み可」というドイツ語の試験があって、それぞれ電子辞書やテキストなどを持ち込みしてきた中で、ある学生がドイツ人をつれていったそうなんです。で、先生もにやにやしながら見ていたというんです。その感覚が大事だなと思うんですね。今のこの日本社会で、ドイツ語が話せることより、持ち込み可の試験にドイツ人を連れていくというセンスの方がおおいに役立つはずなんです。

 

Q:大人になると「あそび」が減っていくかもしれないですね。

大人でも二点、役立つんじゃないかと思うことがあります。

1つは、単純作業をひたすらすること。たとえば私の場合だと庭掃除ですね。どんどん集中していって、気づいたら終わっている。考えなくてもいいけれどやっていたらできあがるというのを生活の中に取り入れていくことです。

もう1つは「ネタ切れ状態をつくる」ということ。禅問答がまさにそうですが、出し尽くしてもう出ないというところで出てきたものは、すごくいいものになります。芸大の先生と話した時にも、「学生にリンゴの絵を1000枚書かせる」と言っていました。もう何も出ないというところで出てきたものは一味違うと言います。わざとネタ切れさせるというのは結構大事だと思いますね。

 

Q:だんだん効率に置き換えられているのかもしれないですね。

効率的といっても実は効率じゃないことも結構あります。妙心寺で昔、梅雨時に雨漏りをしてしまって、和尚さんが二人いるお弟子さんを呼んだそうです。二人とも食事をつくっていましたが、あわてて和尚さんのところに行く際に、一人はあまりにあわてたので、手にたまたま持っていたざるを持っていった。その後からもう一人が鍋を持っていった。そしたら和尚さんは鍋をもっていった方を怒ったそうです。和尚さんは鍋でもざるでもどっちでもよかった。言いたかったのはまず動けということなんですね。

雨をつかまえることと人の心をつかまえるのはまったく別ということを、今の世の中でこそ気づくべきなんだと思います。商売も、自分がこんなことできる、ではなく、相手が欲しい物を売るのが本筋だと思います。

 

Q:本質を知るために視野を広げると、迷いが増えてしまうこともないでしょうか。

そのために軸となる立ち位置は絶対必要です。日本の伝統文化で「道」とつくもの、たとえば茶道、華道、弓道、剣道などは軸をつくるのに長けていると思います。

アーチェリーと弓道の一番大きな違いは、弓道は矢を的に当てることを目的としていないことです。礼に始まり礼に終わる。礼儀作法から入って型を身につけ、自分の集中の極致に至る過程をつくっていくものです。自分が集中の極致にいて、矢と弓と自分が一つになっていることが極みで、すると勝手に当たる。的にあたるかどうかは自分がそこまで集中しているかという確認作業でしかないんですね。一つそれが身につくと、あとは直観でわかってきます。

身近な例で言うと、普段、箸の持ち方をいちいち考えたりしないと思います。あまりに習熟していて、箸と自分が一体になっている。改めて思いださないとわからないくらいの域に達することが、日本文化が求めていることです。このように一つ何か物事を身につけることをしていくと、直観、第六感が自然に出てくるんですね。

禅の修行は実践なんです。いくら人から味の説明を聞いても自分で味わわない限りわからないように、禅の修行はお釈迦様と同じことを体験するということを目的としています。

一週間寝ずに行う修行があって、これはつらい。その時に老師様に「なんでこんなことやるのか」と聞いたんです。そしたら一つは今言ったような実践であり、もう一つは無意識の意識だとおっしゃいました。実践というのはお釈迦様が悟りをひらいた時の修行と同じことをという意味です。一週間寝ないと、意識のレベルを超えた無意識になるんですね。そこから正していかないといけないと言われました。論理を超えた直観が働くように磨いていくことは、意識的に行っていく必要があると思いますね。

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