Vol.8 技術開発とリテラシー ~コラム:技術者の視点で世の中を俯瞰~森田さんに聞きました

Vol.8 技術開発とリテラシー

No.1のコラムで紹介しましたように人類の食糧問題はハーバーボッシュの化学肥料の開発によって一気に解決しました。それによって食糧問題のかなりの部分を歴史上はじめて解決し、活動の余力を科学技術や文化の発展に転用することができました。それによって私たちは、様々な問題を抱えつつも繁栄と多様な文化を享受することができてきました。それに甘んずることなく、さらに効率的に環境への負荷を少なく食糧生産を成立させるために次の技術を開発してきました。それは、バイオテクノロジーによる新たな品種の開発(GMO)です。

遺伝子組み換え食品(GMO)を考える

生命や遺伝子への探求とその結果の応用は、食糧作物のGMO(遺伝子組み換え)技術を成立させました。今回は、この課題を取り上げてみたいと思います。しかしながらこの技術ほど世にとって賛否両論なものはありません。そこで今回このコラムを書くためにわたくしは、再度自分の知識を立ち位置を再考するために改めて最近刊行された、3冊の本を熟読してみました。

1)誤解だらけの遺伝子組み換え作物 小島 正美 (編集) (エネルギーフォーラム 2015)
2)日本では絶対に報道されないモンサントの嘘 ―遺伝子組み換えテクノロジー企業の悪事—ブレット・ウィルコックス (著)船瀬 俊介 (監修) (成甲書房 2015)
3)食糧と人類 ―飢餓を克服した大増産の文明史 :ルース・ドフリース (著)小川 敏子 (翻訳) (日本経済新聞出版社 2016)

という本です。初めの二つは、タイトル通り遺伝子組み換え作物に対する両極端な意見を書いた書物です。特にモンサントを糾弾したほうの本は、かなり過激な内容でした。正直、クールに読めた本は三冊目になります。この本は、人類にとっての重大な課題であった食糧問題をどのように解決してきたかということについて歴史的経緯を含めて書きくだされてあります。余談ですが、一冊だけ読みたいと思われる皆さんへのおすすめはこの本です。新しい本ですので新聞各紙での書評欄でも紹介されています。

現状GMO作物がもたらしたものは、大幅な生産性の向上と気候変動に対しての生産の安定化、また農薬の劇的使用量の削減に肥料の節約です。これらの素晴らしい事実は、どうも覆しようのないものでありそうです。北米のトウモロコシや大豆農家のほとんどがこぞって利用していることからも間違いないでしょう。いくらモンサントが陰謀を巡らしてもそう簡単に北米の農家全部が優れてないものをこれほど静かに受け入れるとは思えません。GMOは農業のイノベーションであることについては疑いのない事実のようです。

しかしながら、その反面、これほど世の中に受け入れられない不幸な技術もありません。それは、non-GMOがバリューを生んでいることからも明らかです。皆さんがスーパーで納豆を購入されるときにパックにnon-GMO(遺伝子組み換え作物不使用)と書かれているものとそうでないものを見られたことがあると思いますがいわゆるそのことです。欧州やアジアの地域では、GMOの作物の表向きの食用や栽培について広く社会に受け入れられているとは言えません。また、アメリカでも一部の人々にとっては、非常に反発の強い技術というのが社会的なGMOについての現状です。それらの地域や人々の中では、少なくとも直接食用にする作物についてはnon-GMOであることがデファクトになってきているといえます。とても長持ちするスーパーリンゴ/トマトについては90年代に開発が終了しましたが、市場に普及するところまではいきませんでした。

それではどうしてこの技術がそれほどまでに疎まれるのでしょうか。わたくしは、この原因がバイオ研究者のリテラシーに帰着すると考えます。新しい技術を開発した場合、その技術のレベルの高さ(つまりインパクト)を世の中に示すために様々なデモンストレーションが行われます。ライト兄弟の空を飛べるとか、電話で遠くの人と話ができるとか、ブラウン管に“イ”の字を写すとかです。これらのイノベーションの提示は、世の中に期待ともに受けいれられてきました。しかしながら、GMOについてはどうでしょうか、“クローンの羊”とか“光るひよこ”によってバイオ分野の先駆者は世に結果を問いました。技術的には、まったく優れたものであったにもかかわらず、世の反応は“?!”でした。わたくしたち人は、生物であり、生物としてのつながりという視点から、世の中の人々は、クローンの羊は自分のコピーを、光るひよこは自分が光るということに意識がつながっていくのではないのでしょうか。少なくともわたくしについては、これらのデモンストレーションを見て、心のどこかが本能的に反発するのを感じます。自分のアイデンティティや価値観そのものが、そこに示された技術のデモンストレーションと直接かかわるところが、GMOが他の技術と違うポイントだと思います。”飛行機はとても便利だけどエネルギー効率に課題がある“としてもそのデメリットが直接的にわたくしたちに影響を及ぼすことはありません。(少なくとも直接の影響をすぐに想像することがむつかしいとはいえると思います。) ところが、”光るひよこ“を作り出せる技術は、”光る自分“や”光る身近な存在“を作り出すことができるという形で直接的にわたくしたちに危機を問いかけているように感じます。

研究者とリテラシー

このような視点からすれば、GMOのような技術を世の中がマッドサイエンスと判断してもおかしくはないと思います。マッドサイエンスならば結果いかんに問わず世の中、もしくは自分の周りからはできればさよならしたいと思ってしまっても仕方のないことなのでしょうか。この問題の背景には、自分の開発した技術が世の中とどのような接点で影響を与えうるのかという視点が研究者から抜け落ちたままデモンストレーションに走ってしまうことにあると思います。つまりこれは、バイオサイエンスの研究者におけるリテラシーそのものにあると思います。バイオサイエンスそのものが一般工学/化学以上に生命という私達にとってかけがえのないものにかかわる非常に身近で大切なものを扱っているという自覚が必要な技術分野であるはずなのです。つまり他の技術分野以上にその技術の表現方法については、注意を図るべきだと思います。

初めに紹介した、誤解だらけの遺伝子組み換え作物という書物には非常に簡潔に論理的にGMOが果たした技術そのものの素晴らしさや安全性の高さが示されています。しかしながら、GMOの問題の根源にはそのようなデータやサイエンティフィック論理以上に解決しなければならない文化的側面があることの認識が大切だと思います。つまりリテラシーをどのように持つのかが今後のこの技術の世の中への普及の鍵だと思います。しかしながら現実はそれには程遠いのが現実です。わたくしは、“光るひよこの次は光るガチョウかな”と言っているバイオサイエンティストに遭遇したことがあります。彼の中では光るガチョウは単なる高度な技術の証明なのかもしれません。しかしながらそのような不用意なGMOの技術の世の中へのデモンストレーションが、この素晴らしい技術そのものをどれだけ世の中から遠ざけているのかを、もう一度認識する必要があります。私は、技術やサイエンスが高度でわかりにくいものになればなるほどこのリテラシーの課題はより重要なものになるような気がしてなりません。

森田浩一氏

大手タイヤメーカーにて 高分子化学分野の技術者として実績を重ね、研究所長、役員などを歴任。
現在は大手音響・楽器・電子部品メーカーにてイノベーション推進を担当する。

“なぜだろう”の問いかけをキーワードに多様な方向性で情報を集め、一歩違う視点で常に考える。
猫をこよなく愛するハードロッカー。

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