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会社は社員にとって
もっと『使い倒し』ていいものだと思う。

PROFILE

株式会社PFU

事業戦略室 戦略推進部 

部長

石原 眞也

1999年PFUシステムズ(当時)入社。2001年吸収合併によりPFUに転社。
システムエンジニアとして約13年間、損害保険会社など金融系のお客様を対象に
ドキュメント管理に関するシステムの提案から設計、開発、構築、保守を担当。
その後、営業部門を経て2016年に経営戦略室(当時)に異動。経営戦略スタッフとして
中期経営計画や新規事業創出などの企画立案・推進に取り組んでいる。

どんなことでもいつか何かにつながる偶発的な出会い(セレンディピティ)を大事に
チャレンジ精神溢れるワクワクするような会社にしていきたいと語る。

向き合うことの大切さ。お客様が教えてくれた。

高い信頼性と高度な技術力で、ドキュメントスキャナーの領域で世界シェアNo.1(※1)を誇るPFU。その他、組込みコンピューターなどのハードウェアや、セキュリティ・文書管理などのソフトウェア、運用保守サービスなど、ICTに関するソリューション・サービスをトータルに展開する。

そのPFUに、石原氏はSE(システムエンジニア)として入社した。そのまま10年以上、様々なシステムの現場を経験する。そこで培われたのは、お客様との向き合い方だ。トラブルが起きた時こそ、最前線でお客様と向き合う。

「ある大規模プロジェクトのリーダを担当していた時です。システム稼働後にトラブルが多発しまして(苦笑)。毎日、トラブル対応で心身ともに疲れ果てていました。ある時、トラブルが長引いてしまっていることについて、お客様のシステム責任者に謝りにいったんです。そうしたら『いや、頑張ってくれているのを知っているから』と励ましてくれたんですよね。この時、どんなことでも逃げずに向き合うことで、誰かがそれを見てくれている、そんな向き合うことの大切さを知りました」

その後、プロジェクトマネジメントや営業などを経験し、2016年に経営戦略室(当時)に異動となる。ここでは、会社の方針立案や新規ビジネスの事業化推進、中期計画の立案・推進などに取り組んでいる。

「いまの部署に異動して全社を俯瞰して物事を考えるようになりましたね。全社的な施策やプロジェクトの企画検討の際、いろいろな人の意見を聞きながらも、『こうしたい』、『こうあるべき』という自分なりの思いを企画に反映でき、そして、自らその企画の実行に携われる。これが今、自分にとって最強のエンジンになっています」



※1 ドキュメントスキャナーを対象とする。日本・北米はKEYPOINT INTELLIGENCE社 (InfoTrends)により集計(2018年実績)、ドキュメントスキャナー集計よりMobile/Microを除く6セグメントの合計マーケットシェア(主に8ppm以上のドキュメントスキャナー全体)。欧州はinfoSource 社(2018年実績)の集計に基づく、西欧地区(トルコとギリシャを含む)におけるシェア。

“思ったら”行動することで 次の機会を引き寄せる。

「失敗してもいいからまずは行動しよう」という発想で動くスタイルは、昔から随所に現れていた。

「SE時代に、どこでもいいからとにかく海外で仕事することを経験したくて、上司に『海外に行かせてくれ』と直訴したことがあったんです。そうしたらアメリカにあるパートナー会社にOJT(On the Job Training)として行ってみるか。という話になったんですよね。そこで、OJTプランを作り、パートナー会社にプレゼンしにいったら、先方が3か月間のトレーニングコースを用意してくれたんですよ。特に具体的な計画があったわけではないんですが、とにかく思ったことを行動に移したら、念願の海外での仕事を経験することができました」

そんな話も、その片鱗をうかがわせる。コトを動かすこうした経験の1つ1つが、今の活動を下支えしている。

「正直、英語は喋れる方ではありませんでした。ある時、パートナー会社が取り扱っている製品にトラブルが発生して、そのトラブルを解決するためにパートナー会社の開発者とPFUとの間の仲介役となってコミュニケーションをとったことがあります。ホワイトボードにこちらの伝えたいことを図示するなどすれば、言葉がうまく伝わらなくても意外と意思疎通できるんですよね。コミュニケーションのやり方というか、グローバルでの仕事の仕方について向き合う良い機会にもなりました」

また社内の有志活動である「NEXT」を立ち上げた経験も、現在に大きく影響している。

「2013年頃ですかね。仕事に不満があるわけじゃないけれど、毎年同じような仕事が続くのがつまらないなと思って(笑)。そこで、何となくみんなも同じことを感じているんじゃないかなと思い、少しの時間でも別のことに取組む機会があったら何かしらの刺激になるのではと考えて立ち上げたのが、NEXTという活動です」

しかしこの活動は、しばらくすると停滞化する。

「社内のネットワークは、これで随分広がりました。でも本業との兼ね合いなどもありその熱量はあまり持続せず、途中でトーンダウンしてしまったんですよね。なんか中途半端なままだな、とずっと気がかりでした。そして、ちょうど経営戦略室に異動し、会社のいろいろなことを知った時、改めてこういう何か新しいことに取組む活動や機会があることは大事だなと思ったんです。ただこれまでと同じやり方だと、同じ結果になると思ったので、より多くの人に参加してもらうためにはどうしたら良いか考えて、やり方を変えることにしたんです。つまり参加してくれた人に『どんなGIVE』を用意できるかということを考えて、何か気づきを得る学びの場にすれば、みんな参加してくれるのではと思ったんです」

そこから、様々な人のネットワークを活用して、友人、知人に講師役で来てもらったり、学びたいテーマについて講演頂ける人を招いたりと、活動が徐々にグレードアップしていく。そして昨年は、他社との交流型プロジェクト「隗援隊(かいえんたい)」を自ら始めるまでに至った。この名称は、「隗より始めよ」との故事にならい、言い出したものが取り組むんだ。という意思を込めて、そして幕末の「海援隊」のようなイノベーションを起こすような活動にしたいという思いを込めて命名した。

本人にとっても1つの転機になっていると語るが、同じ思いを持った同志ともいえるような他社の人と出会う中で、エネルギーは倍加していく。しかし社内でも社外でも、人を巻き込む活動は、自分の思いだけでは進まない。そうした時に、SEや営業をやっていた時の経験が活かされていると石原氏は語る。

「人を巻き込むには、やることの意義や必要性を、相手の立場に立って語らないといけない。それって、僕がSEや営業時代にやっていたお客様との対話や向き合うことと一緒なんですよね。そこに共感があれば、行動が生まれ、行動があれば見える景色や方向性が定まっていくんです」

器を広げるより、 器の数を増やすことで、 勝負したい。

今の経営戦略としての仕事は、事業をフロントで推進するのではなく、会社の変革を支援する側にある。それが今、まさに一番やりたいことだという。背景には、ここ数年間、人材の流動化が進む情勢を表し、会社を辞めていく先輩や同僚、後輩を見て考えたことがある。

「僕自身はそれを、もったいないなと思ったんです。『会社』を活用しきれていないのではないかと。もちろん新しい環境を選ぶのもいいのですが、活躍できる場や機会は会社の中にたくさんあるし、自分でチャレンジしたいことを活動費用も含め支援する『Rising-V活動』という制度もあります。会社ってもっと社員にとって『使い倒し』ていいものだと思うんですよね。」

そこで今取り組んでいるのは、皆がもっと会社を『使い倒せる』ようにするための変革だ。いかに一人ひとりの社員が挑戦する機会が得られるか、失敗しても挑戦したことそのことを評価する企業風土を醸成できるか。そのために次々とコトを動かし、活動の渦をつくる。

「当社のルーツには2つあって、1つは石川県かほく市で、篤志家の支援を受けて進学した若者たちが立ち上げた会社。もう1つは、ホストコンピューターが主流だった時代に、ダウンサイジングの波が来ると読んで共同出資された会社です。その歴史を振り返る中で、人を育てる『教育』と価値を届ける『技術』。ここに我々のDNAがあるんだと再確認しました。そして今、新たな技術を使いこなし、新たな価値を提供する集団を創ることが今の自分の役割だと思っています。」

偶然かつ必然の出会いも連鎖し、たまらなくワクワクしているという石原氏だが、今後はさらに責任ある立場で、もっと違う視座をもって仕事をしていきたいと語る。

「僕は自分自身を『お猪口(おちょこ)』程度かなという意識でいるんです。お酒を飲むための小さな器のことです。自分の器というか存在はそれくらいだと思っています。つまり自分自身はあまり大したことがない存在。しかし、それ自体は小さなものですが、その数をどんどん増やそうとしています。そうして、シャンパンタワーのように器を積み上げていけば、1つが取りこぼしても絶対他の器が救うというか支えるというか(笑)。そうなれば、自分自身が大したことがなくてもその数を増やせば、大きなコトを成すことができるんじゃないかなとそう考えています。そうなるためには、何事にも、ねばり強く、そして感謝の気持ちを忘れずに謙虚な姿勢で向かい続けることが大事だと思っています。」

次のフェーズでは、石原氏が「会社」視座で“言い出しっぺ”となり、さらに多くの人を巻き込んでいく渦をつくりだすことになるのだろう。