日本の開化列伝~
第3回:西郷隆盛はじめ幕末明治の指導者を育てた
   薩摩の「郷中(ごじゅう)教育」

今、コロナ禍をきっかけに私たちの働き方、生活のあり方が大きく問い直されています。危機は新たな未来へ向けて開化(開花)するチャンスでもあります。そこで大きく時代が転換した過去の事例を振り返ることで、現代に通じる学びのヒントが何か掴めるのではないか――。
幕末、明治、大正と、時代の転換期に果敢に挑んだ6人の人生と事業から、現代の私たちの生き方を照らしていきたいと思います。今回は人物ではなく薩摩の「郷中(ごじゅう)教育」について見てみましょう。

2020年10月16日

人材輩出地区「加治屋町」

日本は明治維新とそれに続く廃藩置県によって、近代国家としての扉を開きました。その最大の功労者は西郷隆盛です。西郷隆盛こそは日本史上最大のリーダーといっても過言ではないでしょう。

しかしそんな西郷も少年時代は何ら注目すべきところのない、鈍く無口で、同輩から阿呆と思われるような人だったようです。そんな人が、なぜ偉大な人物として成長していったのでしょうか。人生の土台ともいえる少年期から青年期にかけて、「郷中教育」によって身心を培ったところが大きいといえます。

西郷の生まれ育った下加治屋町は、面積約一万坪、戸数75~6戸に過ぎない小さな集落でした。鹿児島城下でもとくに下級武士たちの地域です。しかしこの地域から西郷隆盛を始め、大久保利通、大山巌、村田新八、西郷従道、東郷平八郎、山本権兵衛、隣町からは松方正義、樺山資紀などを輩出。複数の総理大臣をはじめ、大臣大将級30名、贈位された者40名にも上ります。

これを薩摩の芋づる方式と称する向きもありますが、王政復古や日清、日露戦争も、いずれも加治屋町で生まれ育った人たちがリーダーとして戦ったことは特筆すべきことです。

彼らは皆、郷中教育で育った人たちです。それはどんな教育だったのでしょうか。

先輩が後輩を指導 
特定の教師のいない教育システム

幕末の薩摩藩には、藩校・造士館と共に各地域に郷中という制度がありました。郷中とは方限(ほうぎり)という区割りを単位とする自治組織のこと。言ってみれば、現在の町内自治会にあたります。幕末には薩摩藩内に三十数カ所の郷中がありました。
この郷中ごとに、青少年を小稚児(こちご)(6~10歳)、長稚児(おせちご)(11~15歳)、二才(にせ)(15~25歳)、長老(おせんし)(25歳以上の妻帯者)の4つに分け、年長者が年少組を指導するシステムです。

特定の教師のいない教育というのが特色で、一日のほとんどを同じ年頃や少し年上の人たちと一緒に過ごしながら、身心を鍛え、躾・武芸を身につけ、勉学に勤しんだのです。
郷中教育には、人として守るべき3つの教えがあります。それは、①負けるな、②嘘をつくな、③弱い者をいじめるな、です。また、薩摩には「泣こかい、飛ぼかい、泣こよかひっ飛べ」という有名な言葉があります。これは、困難に遭ったら、逡巡せず、結果を怖れず行動せよという意味で、薩摩士風を象徴する言葉です。

郷中には、若者たちが集合する特定の場所がなく、集合場所はその都度、今日は誰それの家というように、家を借りて行われました。この集合所を座元と称しました。
稚児たちは毎朝6時の鐘を合図に家を走り出て、それぞれの師事する先生のところに行きます。師事する先生は同じ地域内に住む人であれば誰でもよく、稚児自身の自由選択でした。稚児たちは一人ひとり、先生から個別指導を受けました。学ぶのは主に『論語』や『孟子』など四書の素読で、四書が終わると五経に入りました。ただし、必ずしもそれらすべてを学ぶのではなく、先生によって学ぶ内容はそれぞれ異なっていたようです。稚児によって新しい箇所を教えられる者もあれば、復習し精読するだけの者もありました。これらの学習は座元にて行われました。ちなみに、大山巌は従兄に当たる西郷隆盛から読書や習字の指導を受けたといいます。

それが終わると馬場や神社の境内で、相撲などで体を鍛え、午後は山遊び、川遊び、かけっこなどをして遊びました。また夕方から武芸の稽古をしました。
遊びや生活の中に教育があり、地域ぐるみの体制によって、知識・技能だけでなく、精神面では自主・自立を育む全人的な教育がなされていたわけです。

三大行事で武士道精神を身体に染み込ませる

郷中ではまた、(1)妙円寺参り、(2)曽我の傘焼き、(3)「義臣伝」読み、という三大行事がありました。
(1) 妙円寺参り
関ヶ原の合戦で西軍についた島津義弘は、東軍の徳川家康本陣目がけて敵中突破し、多くの犠牲を出しつつ、そのまま薩摩に帰還しました。この島津義弘家臣団の苦難の逃避行を偲び、鎧兜に身を固め、関ヶ原合戦の前夜にあたる9月14日に、島津義弘公の菩提寺・妙円寺(日置市伊集院町)までの往復約40キロを、夜を徹して歩き、参詣する行事です。薩摩には「山坂達者」という言葉があり、こうした活動を通じて身心を鍛錬しました。

(2) 曽我の傘焼き
曽我兄弟は艱難辛苦の末、父の仇、工藤祐経を討ち果たしました。討ち入りの際、兄弟は雨傘に火を燈して松明の代用とし、仇の陣屋に押し入ったという故事にちなみ、古い雨傘を何十本も高く積み上げて火を付けるという行事です。曽我兄弟は封建時代、孝道の鏡でした。

(3) 「義臣伝」読み
赤穂義士の主君への忠義を讃えるべく、四十七士が吉良邸に討ち入りした12月14日の夕刻、定められた座元に集まり、「赤穂義臣伝」を夜を徹して輪読します。二才(にせ)たちは、稚児の頃からこの行事に参加しているため、自然に読み方を習熟し、本文を暗唱している者もいたそうです。
こうした行事は、若者たちが知識だけでなく、体を使って武士道精神を身に染み込ませるための貴重な機会だったといえます。

二律背反の問いに対し、
自分なりの答えを見出す「詮議(せんぎ)」

郷中の二才(にせ)たちの精神を練磨し、適正な思考や的確な判断力を養成する思考訓練の方法として「詮議」があります。これは単なる知識の習得や判断力の養成ではなく、不確実な状況の中で柔軟に適正な実践的判断力を養成することを狙いとしています。とっさの場合に的確な判断が敏速に行えることを修練する問答形式の方法です。
「主君の敵、親の仇がいる場合、どの敵から討ち果たすべきか?」
「殿様の急用で使いをして、早馬でも間に合わない場合はどうするか?」
「殿様と一緒に乗っていた船が難破した。向こうから一艘の助け舟が来たが、乗っていたのは自分の親の仇だった。どうするか?」
このような容易に正解を出すことのできない、二律背反の問いに対して、いかに適切な解決策を見出すか、徹底的に鍛えられました。ビジネススクールのケーススタディに匹敵します。
つまり、定まった知識を教科書で学ぶのではなく、いろいろな状況を想定し、それに対処する方策や工夫を考え出し、実行する度胸を身につけるのです。その結果、薩摩の武士には、何か物事が起きる前から想定外を考え抜き、事前に徹底して備える習慣が根付いていました。

輪読で大切なことは、胆に落とし込むこと

海江田信義(幕末明治の政治家)の回想によると、海江田は十代後半から西郷隆盛や大久保利通たちと交流を始めましたが、『近思録』の輪読会では、半枚か1枚位ずつ区切りの良いところまで読み、これについて議論するという方法で行ったそうです。西郷や大久保は、「これは唐の先生達が言うたことであるから、これを題にして一つやらにゃならん。本に依ってやるといけない」と言い、本を畳んで机に置き、そうして、「お互いの肚を出せ、そうせんと本当の学問ではない」と、本音で議論を戦わせることを第一の目的としました。本の字句の解釈にこだわらず、本を読む時間は短く、読んだ後で考え、議論する時間が非常に長く取られていました。互いに議論し、大いに心魂を練り、時勢を談論し、経世のことにまで及んだといいます。

薩摩武士にとっての次世代リーダー育成システム

今、学校教育では、学習者がチームで主体的・対話的に学びを深める能動的学習法として、アクティブラーニング(AL)が注目されていますが、郷中教育での詮議や輪読会は、まさにアクティブラーニングそのものといえます。
また、郷中では、それぞれのグループに頭(かしら)が選ばれます。頭は郷中の一切を監督し、責任を負うグループリーダーです。西郷は20歳の頃、二才頭を務めますが、名二才頭として、城下の各郷中にその名が知れ渡っていました。後年、西郷は島津斉彬に見出されますが、その契機となったのは、農村の現状を訴える上申書を提出したことに加え、名二才頭として頭角を現していたこともあるようです。郷中教育は薩摩武士にとってのリーダー育成システムでもあり、人材登用のシステムでもあったといえます。

参考:『郷中教育の研究』松本彦三郎著、尚古集成館
   『歴史の読み解き方』磯田道史著、朝日新聞出版

バックナンバー

■第1回 百年先を見据えた男――後藤新平
https://kaikaproject.net/column/kaikaretsuden01/

■第2回 近代化の礎を築いた開明君主――島津斉彬
https://kaikaproject.net/column/kaikaretsuden02/


自在株式会社 代表取締役 
根本英明

労働関係団体を経て日本能率協会に入職。HRD分野の大会、研究会、シンポジウム、セミナーの企画運営等に携わった後、日本能率協会マネジメントセンターにて月刊誌「人材教育」編集長を約10年務め独立。
自在株式会社を設立し現在に至る。
一般社団法人世界のための日本のこころセンター共同代表・事務局長 キャリアコンサルタント

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