Vol.3 自己責任論と日本人 ~コラム:「グローバル」にアンテナを~速水さんに聞きました

Vol.03 自己責任論と日本人

シリアで拘束されていたジャーナリストの安田純平さんが先日、3年4カ月ぶりに帰国しました。過酷な環境を耐え抜いた精神力と強運に感服しましたが、意外なことに、というより予想通りというべきでしょうか、やはり帰国後は「自己責任」という言葉がネット上やメディアで盛んに飛び交い、「政府の渡航自粛勧告を無視して紛争地域に入ったくせに、『助けてくれ』と頼むのはおかしい」「捕まったのは自業自得だから、放っておけばよかったのに」といったバッシングが続いています。

こうした自己責任論が共感を呼んだのは、2004年のイラクでの日本人人質事件からでしょうか。でも、よく指摘されるように、外国、少なくとも欧米系のメディアでは、記者やNGO関係者が人質になっても本人の責任を糾弾する声はほとんど聞かれませんし、ましてや「自業自得だから助ける必要はない」といった論調はあり得ません(その上で、安全対策や身代金の是非についての議論はありますが)。自国民が外国で危険な状態に陥ったら、その人がどんな人でも救出に尽力するのが国家の責務ですし、なかでも戦場ジャーナリストについては、一般人が近寄れない紛争地域の実態を伝えてくれる重要な存在だというコンセンサスがあるからです。

もちろん、だからと言って自己責任論が誤りだと言い切るのは早計ですし、色々な考え方があって然るべきだと思います。ただ、かなりの人がそうした主張に共感する現状を見ると、私たち日本人の考え方の「癖」のようなものが、この事件を機に分かりやすく表出している気もします。

例えば、全体のルールに従い、和を乱さないことを殊更に重視する傾向。これほど多様性が謳われる時代でも、やはり「村の掟」(今回は政府の渡航自粛勧告)に背いて勝手な行動をした(そして失敗した)人は排除されて当然という考え方は根強いようで、安田さんを叩く免罪符になっていると感じます。

また、何か失敗をしたら、直接関係のない「世間の皆様」にも低姿勢で謝るべきだ、という「正義感」も猛烈な勢いで表出しています。安田さんが帰国便の中で謝罪の言葉を繰り返していたら今ほどのバッシングは起きなかったかもしれません。でも、相手の態度によって評価が変わるなら、それはただの感情論ですよね。企業の謝罪会見などを見て無性に腹が立つことは私もありますが、期待した謝り方と違うと脊髄反射的に批判しがちで、また、言動の一部に問題があると相手の人格全てを否定しても許される気分になりがち、という「癖」があることは自覚していたいと思っています。

もう1つ、メディア業界で働く身として痛感したのは、一般の人々の間でジャーナリズムの存在意義が思った以上に低下しているという事実です。

ご存知のように、民主国家は内閣(行政府)、国会(立法府)、最高裁(司法府)が互いに抑制し合う「三権分立」を基盤にしていますが、さらに過去100年ほどの間に、この3つを外部から監視する「第4の権力」が登場しました。それがジャーナリズムです。

20世紀初め頃までは欧米諸国でも、新聞などの報道機関は当局の発表をそのまま伝える「広報」的な色合いが強かったのですが、その後、政府や大企業の不正を暴くような調査報道に徐々に軸足を移し、大きな権限と社会的影響力を持つようになりました。特に1960~70年代には、米ニクソン政権の不法行為を暴いたウォーターゲート事件報道や、ベトナム戦争の反戦運動を引き起こした戦地報道など、ジャーナリズムの真骨頂と言うべき優れた報道が相次ぎ、市民からも権力者からも一目置かれる存在になったわけです。

ところが近年、この「第4の権力」の役割が世界中で揺らいでいます。理由の1つは、ネットの発展に伴い、記者の特権だった情報へのアクセスや意見の発信を誰でもできるようになり、報道の存在価値が見えにくくなったことでしょう。また、安く運営できるネットニュースが増えて玉石混交の記事が拡散し、ジャーナリズム全体への信頼が損なわれている面もあります。加えて、トランプ米大統領のようなポピュリスト政治家が「マスコミ報道は嘘ばかり」と繰り返した結果、自分と考えの合わない報道は「フェイクニュース」扱いしていい、という雰囲気が強まっていることも影響がありそうです(メディア側にも誤報や偏向報道など反省すべき点はあるのですが)。

こうした変化は世界的な潮流です。それでもアメリカやヨーロッパ諸国では、長年かけて勝ち取った市民の「知る権利」は絶対に守られるべきだ、それを保障するためにジャーナリストが社会に不可欠な存在だ、という共通認識は強固に残っていて、それが人質となったジャーナリストへの対応にも表れています。

 翻って、日本はどうでしょう。報道機関やフリー記者が自分たちの「知る権利」を守ってくれる存在だという意識は薄いですよね。それだけでなく、今回の騒動で、紛争地帯に行く記者をカネや名声や自己満足のために危険に突っ込んでいく自分勝手な人間とみなす声がかなりあることには正直驚きました。これは日本のメディアが信頼を勝ち得てこられなかったことの表れかもしれませんし、日本では結局、「知る権利」も「報道の自由」も敗戦後にいきなり輸入された「借り物」の域を出ていない、ということなのかと思ったりもします。

いずれにせよ、「第4の権力」の意義が評価されず、権力の監視役の役目を果たしにくくなっていけば、そのツケは結局、私たち一般市民に回ってきます。極端な話、新聞が大本営発表を垂れ流し、国民の多くがそれを信じた時代に戻ってしまうことだってあり得るわけです。

ではどうしたらいいかと考えても、答えはなかなか見つかりません……。メディア側に出来るのは、怯むことなく良質の報道をして信頼を積み重ねることくらいでしょうか。安田さん解放に向けた政府の働き掛けは適切だったか、3年4カ月の間、この事件をほぼ「無視」した報道姿勢は正しかったのかなど伝えるべき論点は多々あるはずです。そして、願わくば皆さんにも、プロの仕事だと思える報道に出合ったときは、それを正当に評価して記者の背中を押していただきたいなと思います。

速水怜子氏

国際ニュース編集者、大学兼任講師
英文ニュース記事の翻訳・編集に加えて、ジャンルを越え記事企画、取材、編集を行う
また、大学では 国際情勢の基礎知識、ジャーナリスティックな文体・構成で
書く力を鍛えるユニークな講義で学生からの人気を得る

ページトップへ戻る